ANAと不思議な少年石川くん

いま、どうしているのだろうか? 不思議な少年・石川くんのことが、浮かんでくる。

午前7時50分。千歳空港のANAのラウンジで、あさのビールをのみながら、シカゴ行きのジャンボ機を操縦したその少年のことを思い出しているのだ。

ー40年も前の話だ。

C学院の講義を週一回担当していた頃の教え子の石川くん。彼を思い出したのは、先日の新聞記事に、「ついにJALを抜いたANA,政府専用機に指定。売上もJALを抜いた」とあったからだ。

40年前に、石川くんは、私にこう言った。

「先生がよく乗るJALを抜いて、これからANAが、トツプになります」とー。

その頃私は、N証券の次期社長と黙された財界人に可愛がられ、JALの株主優待券をよく使っていたが、ナショナル・フラッグのJALに対してなにをこの少年はいうのかと、怪訝に思っただけである。だが、現実になっている。

あるとき、彼が

「先生、ローロスロイスのオープンカーで、たまには、気分転換しませんか」 いいよ、と軽く言うと、次の日派手なロールスロイスを私のマンションの前に横付けして、ふたりで、渋谷から、箱根へドライブをした。

ある年、彼と二人で、アメリカの瞑想の国際大会に出席することになって、シカゴ行きの飛行機に搭乗したのだがー      


                                                                                 続く  むらっち


最近の投稿