カフェ文化のパリ

パリに来れば、必ず行くカフェがいくつかある。
当然ながら(?) 左岸のサンジェルマン・デュプレ、カルチェラタンにあるカフェで、二軒は行きたい。

だけど、11回救急で病院にいき、緊急手当てをした、胆石症は、手術拒否で、東大病院の主治医らに、多大なご迷惑をかけ、ついに「どうなっても、自己責任ですからね。ふつうは、一回の激痛で即手術ですよ」といわれてしまって、首をすくめるしかなかったのですが。胆石がダイヤモンドに変わるまでと負け惜しみ言いつつ、爆弾を抱えたままで、生活している。

元気になると、懲りないもので、ムクムクといつもの喫茶店に行かねばと、思う。
慎重に道順を考える。
無理せず、第10区の北駅前の下町のこのホテルから、セーヌを横切り、左岸に渡るのだが、1時間半はかかるかな。
シテ島の鼻先を横切る橋は「ポン ヌフ」直訳すれば、新橋だ。
パレ ロワイヤルに行き、ルーブル美術館の横を通って、この大好きなポンヌフを渡る。橋にも好き嫌いがあるのは、自分でも不思議だけど。

ナポレオンの帽子を飾った1686年創立のカフェに、なんと真っ直ぐたどり着く。

むかし、ここで、時の革命家や文化人たちが
よく集ったカフェ。どんな密談をかわし、どんな文化論を戦わせたのか。二階には、その文化人や革命家や芸術家たちの手紙や資料があったが、いまは、高級な家具とデザインによるrestaurantとサロン風のバーティ用に改造されている。

タキシードに身を固めたギャルソンがキビキビ動く。
「予約はありません」と、入口で言う。
「ムッシューお一人ですか?」と聞かれて、ムッシューらしい装いで来れば、良かったと軽く後悔、「ウイ、ウイ。一人です」
丁寧に「シルブブレ」というままに、テーブルに着きほっとする。

オイスター、野菜、ギャルソンに好みをつげて、グラスの赤ワインを頼む。トリフュが付く特別のsaladは、ギャルソンのお奨めで、大満足❗酒は控えたいと、思っていたが、こんな美味なら、控える方が、体に悪いだろうと細胞にきくと、ンダンダというので、ワインをお代わりする。
午後2時30分。

さて、つぎは、20世紀の知性の代表のひとり、実存主義のサルトル、当然ながら、ボォーボワールのいつもいたカフェに、ご挨拶しなければならない。このカフェから、近い。

10分前後で、おめあてのカフェ。しかし、とても入れない。お客で、ごった返しているではないか。硝子ごしに見える中にも、オープンにも。枝美佳と来たときも、となりの客と体が触れあいそうな混み具合であった。

カフェで、仕事をするのは、斎藤孝教授が、喫茶店の活用の本を出される前から、習慣になっていたのですがしかし、これでは、とても入る気がしない。
近くの寺院の裏庭にある、詩人のアポりネールの胸像にご挨拶をしに行った。
結局、往復やく5時間の道のり、帰りがけは
疲れて、MACに入って400字詰め10枚の原稿を仕上げる。

                                                                    カフェ中毒のむらっち


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