鳴門大橋と村上海賊の娘

明石大橋を渡るてまえで、小休止。さおりさんが、車を停めてくれる。瀬戸内海を、じっくり眺めるのは、何十年ぶりだろうか?

ふと、ベストセラーの「村上海賊の娘」の娘・景(きょう)の姿が頭をよぎる。
あの根拠地は、愛媛松山あたりの海だったかなぁ。いつだったか、上下900ページの作品をこの忙しいなか、一気に読んだ。いや、読まされた。作家の筆力によるのだろう。
映画化されるらしいが、されても見ないだろう。頭にあるお景(きょう)のイメージがこわれるからだ。

薄霞の瀬戸内海をまばゆく眺めながら、そう思う。
明石大橋が白くその肢体を、妖しく海にのばしている。幻想的なほど美しい。
そのなかで、この海を血に染めて、縦横無尽に活躍したお景。それは、死と生の極限の濃艶なエロスそのものではないのか。天才三島由紀夫なら、そう表現しそうな気がする。

やがて鳴門大橋だ。むかし、ロケにきたとき
「岩屋」で、イイダコを食べた。それ以来、イイダコの虜になったと思う。

さおりさんが、鳴門の渦を見せようと、橋の路肩に車を寄せてくれる。が、渦潮は橋の下らしく、よくは見えない。やはり、むかし、船でしっかり見たことは、ある。
なぜか、かってな連想で、福島磐梯山のちかくの「五色沼湖」が重なってくる。やはり美しい色と静寂さとともに、スビリチュアルな気が満ちていた。一人旅で、その淵に、小一時間もたたずんでいたことがある。
五色沼が陰なら、ここは陽だ。

そもそも、四国自体がどこか、濃厚なスビリチュアルな雰囲気があったエリアではないかと思う。過去形で言うのは、ここ十年以上来ていないからです。

鳴門の渦潮の一部をみながら、小田原のかまぼこが浮かぶ。鳴門巻き。確か江戸時代の五色巻きの赤色だけが、独立して残ったとか、聞いたことがある。

11月5日の徳島市への出張鑑定は、以前から計画していたのではない。中野幸子さんのご要望は、9月頃にあって、邸宅の家相やもろもろのことで、徳島市へぜひ、となっていてスケジュールをどうするか、悩んでいた。ところが、5日のみ様々な予定が変更になり空きができたので、いきなり、この日になったのです。そのとき、これも、また、たまたま時間の空いた谷所さんが、車を出してくださつたのです。そして、この日、中野雅志氏とお会いしたところ、なんと、この徳島市・名門旧家のご当主のお誕生日でもあったのです。

名門旧家のエレベーターのある邸宅は、六白の象意、広い敷地と旧家は二黒であり、ご当主の雅志氏は、九紫。その先天は、六白。そしてこの日は、年盤二黒、月盤六白、日盤六白。これらが私からみて、南西にまわっていました。様々なシンクロにシティ。

四緑の谷所さんには、小休止のおり、本人には、内緒で剋気の中和をお礼がわりにさせていただいたけれど。

それにしても、人の知恵を超えた自然の法則に、自然と感謝したくなってしまいます。それも自然なことでしょうね。

                                                                    小さな旅の大きな恵みに感謝のむらっち


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