ケープタウンのわが恩人二人

恩人は、長い人生で、節目、節目で、至るところにいる。恩人には足を向けて寝れない故に、恩人が居すぎて垂直に立ってしか眠れない(笑)。が、幸いに、地球のま反対には、まだ、恩人はいない。

人類発祥の地、南アフリカにおける恩人は、間違いなくアーチー・ストリップと、日本女性ガイドのJunkoの二人だろうな。

かれこれ、10数年前になるが、ひとりたびで、アフリカの何ヵ国かをめぐって、二回目か三回目かは、忘れたが日本語の出来ない青年ガイドとの一対一の旅に、疲れはてて、ケープタウンに入ったときに、知り合ったのが、アーチー・ストリップだった。

第一印象は、名優のオーマン・シャリフにそっくり!と、私には思えた。一回り下の五黄土気の男。偶然にも、映画監督の私の弟と全く同じ年生まれの五黄だ。ついでにいえば、カトリーヌ・ドヌーブとも噂のあったオーマン・シャリフも、私より一回り上であるけれど、やはり、五黄土気の名優だった。生きていれば、84歳だ。

ケープタウンを案内してもらって、ウオーターフロントで、アーチーと食事をしたのが、親しくなるきっかけだった。英語の出来ないわたしの話を、角度を変えて質問して、意味を受け取る彼。単純な単語で繰り出す私のジョークで、爆笑しあったものである。

昔、笑いの研究をしたことがあるが、アメリカ風ジョークと、ヨーロッパ風のそれとの違いのなかで、アーチーには双方とも通用することに、内心、ほっとしたことを、いまでも覚えている。

植樹のことを、説明するのに苦労したが、幸いに、そばに英語の達人がいなかったので、私のハチャメャな言葉で、、そういう人たちから軽蔑される心配もなく、じっくり、アーチーに理解してもらった。
そして次の年、ケープタウンの近郊のスラム街で、正式な植樹を行ったのである。

政治家やら、街の有力者も立ち会ってくれたり、挨拶をさせられたり。その時、スムーズに作業はすすんだが、我々のこうした動きに現地の日本人もふくめて、批判的な雰囲気を感じてもいた。20人前後のメンバーで、日本からの衣服や文房具などのプレゼントなども行いながら、批判の目をどこかに感じて、私は心のなかに釈然としない想いをもった。あとから、アーチーを利用する日本人も現れ、アーチーからの英文の抗議文をその人たちに渡してくれと、頼まれたこともある。

次の年、アーチーのふるさとジョージで、およそ100本の植樹をしたが、このときは、スッキリとした満足感があった。歪んだ形で、植樹を受け止める人は、スタッフにも、関係者にも、どこにもいなかった。この時、ガイドしてくれたのが、Junkoであり、アーチーの見事なアレンジメントであった。すべてを、成功に導いてくれた二人だった。マスコミの方々も来ていたし、元駐日大使など、関係者が、すべて善意に受け止めてくれたのでした。

ロシアやヨーロッバの植樹も、理解ある人々で、いつも成功しているのは、この南アフリカの経験があるからこそです。

アーチーとJunkoに
暑い東京から、 投げキッスのむらっち


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