幸運と不運の法則 その3

  ひとりで冬のSidneyに来ているけれど、食事をどうするか。

朝は行きつけのグロッサリーで果物と野菜のジュース。夜は、ゆで卵とバナナを二分の一本。三日目から納豆と豆腐とキムチに決めた。ホテルは、申し分なく、キッチン付きのスイートルーム。みんな妻・枝美佳の手配である。幸せに感謝しています。 

  祐気の旅は、「幸運と不運の法則の」証を得るための実験の一つです。実証のためであると、言っても過言ではありません。 うれしいのは、イギリスのリチャード・ワイズマン博士が、幸運な人に共通する四つの法則は「鍛えることができる」と言う点です。これが、そうでなく、運命が決まっていたらなら、なんと虚しいことか。 

   このホテルには、去年二か月余り滞在、顔見知りのスタッフが「はーい、お帰り!」と声をかけてくれる。

   部屋のTVは、日本の「親に置き去りにされた、7歳の少年」が病院から退院したニュースが、繰り返される。少年はインタビューに「ボク、大丈夫!」と答えている。 日本の山岳専門の医師が「大和少年が助かったのには、三つの奇跡があったから」と解説していたけれど、そうではない。私から見れば、少なくとも、六つの奇跡(偶然の重なり)があったと思う。(詳しくは星風アカデミー誌で) では、この少年は幸運であったか、不運であったか。幸運であったと万人が認める一方では、置き去りにされ恐怖の体験をした、と言う不運もあったと言う見方も出来るわけである。「平穏無事こそ幸運」と言う考え方もありますから。 だけど、不運な体験を、トラウマにもならず、貴重な人生の経験として、「昇華させる」なら、不幸なことを幸運に転換したことになりますよね。 「いやあ、あの子の場合は、生まれつき、明るく,積極的ですから。うちの子は、内気で憶病で、悲観的だから、不運の転換なんて、とてもできないわね」もっともな意見です。納得できます。 ひどい挫折、障害、不運から立ち直り、心にキズを創らずに、それを逆転する人は、現実には多くない。「不幸を逆転しなさい」というだけで、逆転する人は、言われる前に、さっさとその道を歩んでいるし、もし、そうなら人生、楽なものです。

   さて、ワイズマン博士の「幸運な人の四つの法則」は、鍛えることで、誰もが幸運な人になれると言う勇気の湧き上がる研究です。 その鍛え方の内容は、誰にでも理解でき、誰もが「わかった!」とうなずきます。しかし、次が問題です。わかっても実践しないこと。いつでも「わかったつもり」で終わることです。 

   山ほど本を読み、世にあふれる様々なセミナーに参加し、しかし、いっこうに「変わらないままの自分」―それでも、出てくる情報に飛びつく繰り返し。何のことはない一種の「代償行為」に満足しているだけの自分― そう、これは、若き日(!)のムラッチの姿にほかならない。 ワイズマン博士、コヴィー博士、カーネギーやナポレオン・ヒルからマーフィに至るまでの数々の天才たちの展開する知識とその体系が理解できても、我が身の血肉とならねば、「わかったつもり」の頭でっかち・机上の空論ですよね。 じゃ、どうする?次回、それに触れるつもりです。TVはクリントンとトランプの大統領選でもちきりだ。                 

                                                                               自炊を楽しむらっち


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