幸運と不運の法則 その5

自然災害の気になる今月、穏やかに過ぎてほしい、と願いつつ、港区麻布から、ここ、那須の仕事場に来ています。

天皇・皇后両陛下が、先月は、那須の御用邸に静養に来られていた静けさと違って、今回は、賑やか。騒々しいほどだ。若い親子連れやお孫さん連れの三世代の群れが、近くのホテルには溢れている。

だけど、その群れは、解放感あふれ、幸せに輝いて見えます。家族で夏休みがとれる幸運な群れ。

一方、事故にあったり、病いや経済的困窮のため、または、国情によっては、生命の危機にされされたりの、不運な方々もおられる。そんな違いはどうして生まれるのだろうか?

そういう不運な方を、どのように励ましますか?
ワインどころか、美味しい水や食事すら、ままならぬ人たちも、この地上にはおられる事実。

作家の伊集院静氏のエッセー「不運と思うな」というベストセラーをプレゼントしますか。そして「ーそれでも懸命に生きて行けば、必ず光がさす。
私は知っている。不運な人生などない」
と言う著者の言葉を贈りますか。
または、やはりベストセラーのお坊さんの小池龍之介著「しない生活」の本の煩悩を静める108のお稽古、をおすすめしますか?

励まされる本ですが、書いてあるようにすれば「幸運になる」ことは、間違いありません。癒されたり、ホッとしたりするでしょう。

だが、「本に書いてあるようにすれば」というのが、絶対条件です。

例えば、私たちは、108の煩悩を、幾つ消せますか?
なにもせず、瞑想を中心の生活が、何人実行できるでしょうか?

しかし、もし日本人1億人が、そうしたなら、どうなるでしょうか?
70億人が実行したなら、地上から争いはなくなり、平和は訪れますね。(非瞑想しなくても、平和は実現すると言われます。しかも、出家しなくてもです。自分のやりたい仕事をした上で、それが実現します。

話を元にもどすと、素晴らしい本を山のように読んでも、現実的成功・幸運を得ないのは、なぜか。

ご存知のように、前回も、触れてきた「無意識層」の心の状態が問題なのです。自分の深層の心は、自分の顕在の理性ではわかりません。では、どうしたら、それがわかるのだろうか。

さて、洋の東西をとわず、天才たちが書いた自己啓発本や能力開発の書籍は、山ほどある。ハウツウのセミナーも多彩。ご多分に漏れず、かく言うわたしは、さんざん、啓発セミナー病になるほど受けました。本は馬に喰わせるほど漁ってきた。

そしてその結果、「意識の変容」によって普遍意識に達しない限り、なにも変わらぬことを、思い知らされたのでした。

ひょんなことから「ヴェーダ」をマスターから教えられ、その知識を実践したことで、「意識変容」を体験してきたのです。

その意識の変容を、誰もがイージーに実践でき、効果が確認できる手段として
気がついたのが、実践哲学の量子気学でした。
気学以外では、瞑想やヒプノセラピーがある。これらは、気学以上に「意識の変容」に確実に役立ちます。
むろん、それらを、無視しても、「変容」は起きる。
(だが、そのための現実的条件が必要)

九州大学の教授で、日本の心療内科の草分けである池見酉次郎先生は「奇跡的治癒が起きるためには、その人の実存的変容が前提だ」と言う意味のことを話しておられる。

その実存的変容は、心理学で言う「実存的危機」によってなされるのです。が、これは、次回触れましょうか。

ワインが効いてきたー✴

が、もう一言いいます。
それは、いつも同じ失敗を繰り返すとか、何年やっても発展成長しないのは、つまり、いつも堂々巡りしている場合は「実存的変容」がない典型だ、ということです。

ワインで酩酊ワヤヤの
                         むらっち


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