死の瞬間と〈海賊の娘〉

東回りの世界一周から、帰国するや否や、成田空港から、池袋のインプラントの歯医者へ。
ついでに、そのロビーで、仕事の打合せをし、ようやく家に戻る。
車をおりて、行き付けの小料理屋で待っていてくださる、関西の方々の事業家、病院の副理事長などに10分ほどの遅刻で、御挨拶できた。

その歓談会食を終えて、枝美佳の運転で、那須の山荘へ、夜道を走った。
ようやく、予定をすべて果たしたのだ。

那須に着いたときは、流石に睡魔におそわれて、ベストセラーの和田竜[海賊の娘] 上下二巻を手にしたまま、蒲団のうえに倒れ込んでいた。
目覚めると朝、かけ蒲団が掛けられ、小さく開いた窓から、那須高原の爽やかな空気がさやさやと、心地よく流れ込んでくる。ウ~ンと身体を伸ばすと、緑色に染まったかのような朝の空気が、肺を一杯に膨らませてくれる。

この那須で、二泊して仕事をすませると、東京に戻り、打合せ後に、200キロ離れた北東のある町に、枝美佳の運転で向かった。
その助手席で、買ったばかりの[海賊の娘]を読み始める。時代物エンタメの大作か、気分転換には、これにしよう、と決めておいたのだ。
劇画のようなものだと思いつつ、ページをめくっているうちに圧倒的な筆力につかまってしまった。

サービスエリアで、コーヒーをのみながら、枝美佳が、
[ 同時に20冊も30冊も平行して読んで、中身なんかわからないんじゃないの?  いったい、今度は、それなんなの?おもろいの? どんなん書いているんや。ちょっと、中身言うてみてよ。コーヒー飲むの? 本読むの?  どっちかにしいや!] 
段々、追求が厳しく、声音もヤバくなってくる。

[内容やテーマや分野が、それぞれ全く違うから、混乱しないよ。小説でも、純文学からエンタメまでいろいろあるからね。たまに、180度違うものが、気分転換にもなるから]
[そやな、料理も、毎日、同じメニューやったら、飽きるもんね] と直ぐ機嫌はなおる。

快適に運転してくれる助手席で、ノンビリ読書するのは極楽そのものだ。
が、時おり、[運転、かわろか?] と、この世で、最も恐ろしい提案がなされさえなければ、幸せなのだが、この台詞で、極楽から、奈落へおちるのである。

東北の静かな町のホテルで、仕事をする前に、この大作にすっかり引き込まれてしまった。食事もトイレも、本が手放せない。読むんじゃなかった、と、妙な後悔をする。
[ 食事前に、散歩でも行ってきたら?  そんなに眼を使うと、目悪うするよ!]
女神はいちいち、うるさくなる。

部厚い本を手に、うまいなぁ、と、時おり、偉そうにその筆さばきに感嘆する自分に気づく。作家が聞いたらそれこそ、私の首と胴は水平に一刀両断にされているところだろうな、と首をすくめる。

この大作のなかで、じつは、わたしは、久方ぶりに、死の直前の恍惚感を、味わった気がしたのです。
死の直前と言うよりも、生から死へ移行しつつある、めくるめく浮揚の歓喜に似た世界をあじわっていたのではなかったのか。
文字から、意識ははなれ、しかし、眼は、文字を追っていながら、霞みつつ、それでいながら濃密な意識の無限の広がりのなかに、心地よく、浮揚しているのです。それは、臨死体験者たちの書く様子ににてもいるようです。
しかし、わたしは、何回も体験したあの幽体離脱(体外離脱)のあの感覚を再体験していたのではないだろうか。そう、思えてなりません。その事に、もうすこし、触れてみます。

                                                                       恍惚感を思い出すむらっち


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