至福とイラッチ

そうなんです。矛盾するテーマは、傑作「闇と光」の真逆のテーマで抉る芥川賞作家の開高健の影響かな。いや、違う。本来の自分の性(さが)です。天才開高健にあやかろうなんて、図々しい❗

グァムに来て二日目、10月23日夕方である。いつものロッテホテルグァムのグラブラウンジで、ポツンと赤ワインのグラスを傾けていると、大ガラスごしに広がるタモン湾、霧雨が降っている。
手前には、ブルーの色のプールと人の気配のないデッキチェアーと、そのそばの南洋の植物の緑の葉が重なりあいながら、雨に濡れて、微かにゆれているのが目に映る。
ああ、し・あ・わ・せ

〜ふと、声に出して言いそうになる。この風景に癒される自分。単純なんです。瞑想の深さと同じ、至福そのものが胸の奥に広がる。
ホントは、この至福感はまだニセモノよ。
なぜなら、今月は、象意のとうり、私の本命からして、「イライラする。腹が立つような人に出会う。図々しい注文に切れやすくなる。ケンカを売られるような理不尽な対応に立腹する」などなど。キレないように、手帳の今月の欄には、ひたすら忍耐と書いてあったな。

至福にありながら、ニセモノといったのは、今が絶対的至福ではなく、相対的至福だからです。絶対的至福なら、現実界の理不尽に傷つくことはないからです。傷つくのは、つまり腹が立つのは、普遍意識の深さには達していないからである。
でも、いいじゃないか。この静かで、日常から離れた自然と一体化出来るゴージャスな雰囲気は、アウトドア派でもなく、インドア派でもない、浮遊派(?)の私には、たとえ、つかの間であれ至福をもたらせてくれるのだから。

それにしても、実践哲学・気学は、知れば知るほど、人生の深奥を教えてくれるようだ。

                                                                                         霧雨の海が好きのむらっち


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