おまえはツーリストか、トラベラーか?

いま、グァムのツーリスト相手の免税店のソファに掛けている。

久し振りのブログ。忙しいのもあるけれど、携帯の「エバーノート」が、使えなくなり、そのショックで、blogも止まった。エバーノートとblogの関係は百%ない。ただ、使い主が私という共通点はあるが。いかに精神薄弱かがお分かりでありましょう〓

あたふたと家を出るとき、五木寛之著「風に吹かれて」を、書棚から引き抜きポッケに突っ込む。日暮里駅から乗った成田空港行き「特急エアポートライナー」で読む。初版はたしか、昭和40年代である。古びた単行本にときおり、昔読んだ折り目がついている。全巻で400万部か500万部売れたというエッセー集の一冊だ。読み返していくと、涙がにじみそうになり、ため息をつき、疾走する外の風景に目をやる。

  このblogのタイトルとこのエッセーとは直接の関係はない。しかし、このエッセーは、お前はツーリストなのか、トラベラーなのかを、私に問いかけ、迫ってくる。

  セットされた団体の観光客ではなく、私は自ら旅を選んだトラベラーであると言いたくなる。
  団体の観光ツアーに参加していても、トラベラーであることはできる。誤解がないようにいえば、団体ツアーが悪いわけではない。
「お仕着せの視点」から物ごとを見るのでなく、自分の感性と視点を鍛えて、事象の影に隠れていることを見抜く姿勢が必要だと、エッセーから受ける私の感じ方にすぎない。断っておくけれど、エッセーには、そんなお説教など一言もない。私が、そんな風に感じているだけなのだ。

  誰でも人生という旅に出ている。ツーリストたるか、トラベラーたるか、自分のお好みだろう。ただ、自覚はしたい。旅の目的は何なのか、エッセーは私に問いかけてくる。
   集合意識のアップグレードという途方もない目的を掲げた孤独を今さら、どうするものでもない、とつくづく
思う。

優れたエッセーは、おもしろくて、思わず笑わせながら、そのくせ生き方に鋭く迫ってくるんだね。

  私の心の深層に、しまいこまれたセビア色した過ぎた日の、熱い思い出のシーンに、ときおり、引き戻されてもしまいながら。
どこか懐かしいため息をも、ついてしまいながら。

                                                                    エトランゼ気取りの
                                                                                         むらっち


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