あおり運転と♣️心の法則

ヘルシンキの朝。
放置されたスクーター

あおり運転とその被害者のことが、メデイアで、繰り返し、取り上げられました。

あおった男は逃げ、その人物が、逮捕された前後のこと。

今度は、僧侶が、あおったのか、煽られたのかは、メデイアをよく見ていない私には、分からなかったが、僧衣をまとった男が、ヤクザ屋さんと見紛う姿で後ろの止めた車に、向かってい様にオドロイタ。

いや、驚く私が、よくないんだろうね。僧侶という職業だからーーという先入観を持つオイラが悪いんだよな。人によって、僧侶でも、神主でも、牧師でも、犯罪者はいたのだから〜。

   

ただ、怖いのは、「心の法則」から、見れば、「あな恐ろしや」という事でしょう。

見たり、聞いたり、学んだことや、体験したことは、それを、自分が再現しやすいという事、です。心という言葉を、意識と置き換えたほうが、より正しい。

自分が強く意識したことは、再現しやすいと言うこと。 

走る前の車に、イライラしているたびに、あなたがセールスマンなら、いつか、訪問した先のお客が、短気でイラッチであったり、商品説明の途中で、席を立ったり、配偶者があなたを理解しなかったりする場面をセットしていることに、なります。

幼いころに、横暴な父親、小うるさい母親、反抗的な兄弟、病的なほど神経質な親しい人がいたとしたら、その真似を無意識にしてしまいます。
潜在意識は、驚くほど、公平そのもの。全てを受け入れます。

そして、私たちは、「無意識であれ、意識したものだけしか再創造」しないのです。

とくに幼いころの、強い非難あるいは暴力は、潜在意識に強く植えつけられて、それらが、すっかり忘れられたりしても、後になって、同じような言動を、自分自身が行なっているのです。再現しているわけです。

幼い頃の、無意識に埋め込まれた強烈な情報は、心の奥深く畳み込まれ、それが後年になって、出会う人、時、場所、状況となって、現れるという事になります。

面白いことに、嫌な事や行動は、痛く心にとどめるけれど、満足した嬉しい状態は、当然のこととして受け止める、と言うことです(実践哲学・気学で言う祐気は、当たり前と受け止め、剋気や好転反応には、驚くということと同じ)

だが、これは、実に偉大な真理を示していると言えます。「幸せは、全く自然なことである」とー‼︎

超モダンな FINNAIRラインのキャビン

今朝、日本🇯🇵を発って、ヘルシンキに到着し、これを書いています。搭乗口で待っているとき、アナウンスで呼び出されていくと、「村田様ご夫妻ですね、ビジネスクラスにご移動ですが、よろしいでしょうか?」

一昨年のヘルシンキ行きの折も、そうでした。

ビジネスクラスでの祐気の旅は、当たり前にならなくては、と思っているので、その意識が、再創造したものと思っています。有難く、感謝しています。

ホテルに戻り、エレベーターにのったら、見知らぬ白人の年輩のご婦人から、真新しい本を、にこやかにプレゼントされて、幸せな気分が、エレベーターの箱いっぱいに広がりました。

幸せも、不運も、伝染することを、観念的としてしか捉えられない人が、この地上から、少なくなるのを祈りたいと、思いました。

☘想いは実現する、ことを思うワクワクのムラッチでした☘

たっぷりスペースがあってくつろげる空間

水平にリクライニングを倒し映画も楽しめる

仕事をしようか ワインでも飲もうか・・・誘惑は多い
無機質の空間を、安らぎの場にできるか・・・ 


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