エトランゼのおセンチ?!

9/26(木曜) 朝、6時頃眠り、11:15に起こされる。シェラトンホテルの422号室。

50年前亡くなった父に、何かで、激しく文句をつけている私。と、ドンドンと強くドアを叩く音とともに、掃除のオバサンが勢いよく入って来て、まだ、寝ているんだと、騒々しく、また出ていった。

寝ぼけながら、【北東の象意どうりの夢だ】と、思いながら、慌ててジャブジャブ顔を洗い、lobbyへ。
11:30の約束。lobbyには、どうやら朝の散歩と朝食を終えて、東大理科三類(医学部)生が、約束どうりまっていた。

リーサンちゃん(理科三類の彼女をそう呼ぶ)も、行くと言うので、ホームセンターへ。じつは、ホームセンターは、和製英語なのだ。カウンターで【なんていうの?】と聞くと、愛想いい顔見知りの女性スタッフが、いつもの早口でいう。聞き取れないので【ここへ書いてチョ!】というと、見事なタッチで、Home Depotと書いてくれた【歩いていける?】
【無理、無理、Taxi がいいよ】お礼をいって玄関に歩き出すと、彼女とのやり取りを聞いていた大柄の男性スタッフが、Taxi を呼び、頼みもしないのに、【ハンマーとシャベルを買うため、Home Depotへ行ってくれ】とドライバーへ伝えてくれた。

内心、しまった、小銭を使いきってしまったとあせる。そこで、リーサンちゃんに、1ドルあるかい?  というと、サーッと手際よく出してくれる。

親切なその男の太い手の内に【ありがと!】と日本語で言いつつ、押し込む。どの国ででも、日本語で言うのは、意識してのことである。

いつもアンカレッジにくると、現地のY さんと会い、アラヤスカヤのスキー場に一日がかりで行く。雪の山道を時に枝美佳とY さんが、交互に運転したり、ショッピングセンターで、様々な銃の売場をひやかしたり、アラスカ料理の食べ歩きをしたものである。

しかし、私より一つ年上のYさんが脳梗塞で倒れ、病院に入ってから、二年ほど続けて見舞いに行って以来、音信が不通になった。

わたしが、ある冬一人でアンカレッジに来て見舞った時に、病院の出口で、すでに言葉を失っていたYさんの車椅子から私を見送る姿が、輝いてみえたのが不思議であった。

Yさんの長男は、公認会計士で、会社社長。次男は、シアトル在住の空軍パイロット。長男は、アンカレッジの郊外の住宅街に、美術館と見まがうほどの豪邸にすみ、枝美佳とご招待を受けて以来、やはり、音信が、途絶えてしまった。双方が、猛烈に忙しくなったのも、理由の一つだったけれど。

昨夕、小雨の微かにふるなかを、夕食を済ませて帰る道すがら、そんな昔のことがよぎっていった。

ブランクがあって、何回か来た地を訪れると、見慣れたはずの風景と、変わらぬ風景の交錯が、なぜか、心の奥にしみいってくる。

時の流れの無情は、旅のなかでこそなのか、人生の味わいをしる老い故か~あらゆるものは、亡びて、また、新しい何かを生む~その移ろいゆく流れのなかで、人は、いったい、何を為そうとするのだろうか。

19才の若い生命にみちみちたリーサンちゃんの人生は、これからが、本番を迎える。むろん、私の人生も、19才とは違う人生の本番が始まる。どこからスタートするのか、それは、本人が、決めればいいのではないか。
キリマンジャロの山々を、猟銃を口にくわえて引き金を引いたノーベル文学賞のヘミングウェイは、何を見つめていたのだろうか?

微かな小雨にぬれながら、アンカレッジの街を歩いていると、今生の時の流れに、往き来した風景と懐かしい人たちとのおもいでが、点滅する。

うーん、むかし、旅情という名画もあったよな、旅情の舞台は、やはり、ローマがいいのだろうか。アンカレッジだって、捨てたもんじゃないぜ。
心の風景の問題だからさ。

                    多忙のなかのエトランゼ
                        を楽しむ  むらっち。


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