思い出だけが残る夏 〜それはセンチメンタル ジャニー

「想い出だけが残る夏~
それはセンチメンタルジャーニー」 

石原軍団の、あの渡哲也さんが8月10日亡くなった。昭和の俳優たちは、我が青春のシンボルでした。

大スター石原裕次郎さんや、その兄である、今なおご健在の芥川賞スター作家の石原慎太郎さん~

その兄弟の背中を追って、青春を過ごしてきた少年の思い出は、ひと夏の、セミの抜け殻のように、やがて、遠い思い出のセンチメンタル・ジャーニーとして、やがて消えていくのか!?

現実に活躍する兵庫県の友人である宮本真一さんが、台風と新型コロナウイルス感染の緊張のなか、ヨットで、我が青春の思い出の地・奄美大島へ行っていた知らせが、ヨット・海の連想から、ズーッと、石原裕次郎さんを思い出させてくれる。

思い出は、時空間を一瞬のうちに超えて、一つの現実を作ります。そのバーチャル・リアリティは、心身に確実な波動を起こしてくれるようです。

天下のあの裕次郎さんには、渋谷の会員制の「ドン・キホーテ」の小さなカウンターバーで、幾度となく、鉢合わせをした。

そればかりか、客のいない時は、カウンター内にまわった裕次郎さんから、ビールのお酌をしていただいたりもしたものです。凄く大きな人物でした。

オーナーの関さんは、一時期、芸能界のドンと言われ、裕次郎さんとは、兄弟のような関係。ずいぶん、私も親しくさせていただいた。

当時、全国組織の職員だった二十歳過ぎた宮本真一さんを、そこへ連れて行ったりもしたが、朝5時まで飲んだ気がします。

「死という最後の未来」と言うことばは、石原裕次郎の兄、石原慎太郎さんの最近の本で使っている氏の言葉。

曽野綾子さんとの対談本のタイトルにもなり、また、その前に出した「老いてこそ生き甲斐」に出てくる私の好きなフレーズです。

シェリー・ケーガン教授の「死とは何か」は、一昨年、パリ滞在中に知り、その折の書いていた自分の本で取り上げたけれど、私とは、100%真逆な死生観ですが、とても、参考になります。

石原慎太郎さんも、どちらかと言えば、このシェリー先生寄りの思想のようです。

セミの短すぎる生涯は、そうしたことを、示しつつ、渡哲也さんのご逝去が、時空を超えて、さまざまな想いでを湧き立たせてくれました。

日本にとって、忘れられない8月15日終戦記念日の思い出は、どんな集合意識を生み出しているのでしょうか?

実践哲学・気学を伝える私にとって、世界の動きと個人の動きのリンクとが、とても興味深く、人類共通の「死という最後の未来」を考えてしまいます。

それは、果たして「最後の」未来かどうか!?ですね。

バカな考え休みに似たり!?

     のムラッチでした。


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