幸運も不運も、偶然にしますか?

スタバで、カミさんの手術?の終わるのを待っている。手術とは、大袈裟だけど、歯の手術だから もっと気楽でいいのかも知れない。

実は治療は私が先で、ピッタリ1時間で終えて、クリニックの下のスタバで、カミさんをまっているのだ。

軽く水でうがいをすると口から鮮血がでる。2回目の手術。
痛みどめのロルフェナミンと抗生物質を1カプセルを服用。
いや、その前に、胃のために、アメリカンのコーヒーとニューヨークチーズケーキをたのみ、チビチビ食べながら、コーヒーをなめる。
それくらいなら、たのまなきゃ良いのに。

レジのカワイコちゃんが、頬を私が押さえて頼んだので、「どうかされました?」と聞く。
「歯の手術したばかりで」すると、ケラケラと笑って
「ホットでいいんですか、アイスにしますか」
「ホットでいいよ」
「私も虫歯なんですよ、早く治療したいけど」
歯医者、紹介するよ、なんて他愛ない会話で、ホクホクした気分になりつつ、席にもどる。

20年前、虫歯の治療で、義理ある方に紹介された歯科医で、治療したら、100%健全な歯を抜かれてしまった。凶方位だったのを知りながら、義理を優先して、軽くみた結果だった。

引っ越しも、留学も、その結果を、良かれあしかれ、それは、偶然だと理解してしまうのが、世の常識なのだろう。

なぜなら、結果への因果関係が不明な場合を、すべて偶然で済ますと、心理学で言うところの「認知的不協和」を起こさず済むからだ。

が、東洋の実践哲学は、その因果関係を明らかにする。そこに、目を向ける人が少ないだけなのだけれど~。

                           スタバでの むらっち


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