「山が動いているぞ!」
その声に、顔をあげ、テレビ画面にクギ付けになる。広島市の土石流災害のニュースである。山が動いている、というのだ。
そう、山は動くのだ! 大地が、ゴムのようにしなるのを、体験した方なら、納得できるはずですね。
イエス・キリストは、「一握りの信仰があれば、山も動かせる」と言う意味のことを言われたらしいが、本当かもしれない。
10日の東京・麻布オフィスでのセミナーを皮切りに、10日の夜から札幌へ、14日に札幌から関西へ。今、東北の地方都市のホテル。10日間のセミナーの一貫したテーマは、鉱物・植物・動物・人間に共通する一つの「いのち」についてであった。下手をすると、宗教じみてしか理解されないテーマである。
19日の午前1時から3時にかけて、悲惨な土石流の災害は、始まっていたのだ。そのとき京都にいた。山のまさ土の崩壊。
まさ土。初めて聞く。
「八百日(やほか)行く 浜の真砂も 我が恋に
あに まさらじや 沖つ島守」
万葉集の大好きな歌どころではない。真砂もまさ土も二黒。
山は、八白。崩落は、八白。住宅は八白。宅地造成は八白と二黒。この
月は、災害の五黄、大地の二黒、八白の暗剣が、一列に並ぶ。これでは、
たまらない。
今、東北の地方都市のホテル。夕景。太平洋と空とが一つになって、茫
漠(ぼうばく)とひろがる薄ピンクにグレイの混じった一色のカンバス。総
ガラス張りの天空の幻想的な喫茶店。はるか下の足もとに見えるのは、民
家と浜辺を横切る高速道路ーー霞むヘッドライトが、優雅に流れている
そんな贅沢なときを、思い起こしながら、美しい大和のもつ別の顔の災
害列島の悲劇を避けることは、何か、を思う。あらゆる存在が、一つに作
用しあう関係性の存在ならば、今、地球の各地で覇権を争う血みどろの対
立は、一体、何なのか。共存、共生、共栄のバランスこそ、人類が目指す
価値ある目標であろうに。自然災害は、人災である、ということに我々は
いつ気がつくのだろう。そのことを、もっと広く、多くの人々に伝えて行
かなくては!
伝道者気取りの むらっち。