パリの迷い子

1972年に、初めてヨーロッパ、パリに来て以来、もう、二十数回前後は、訪れているはずなのに、いまだに、迷子だ。

本来、整然として凱旋門から伸びる放射線状の道を覚えたら、簡単なのに、とぼしい脳ミソを、そうゆうのに使いたくないという、ドケチナ根性がワザワイして、また、そのときの、成りゆき任せの旅(人生?!)のクセが、大いに影響して、いつも、いつも迷子になる。

いや、正確には、一人のときは、迷子にはならない。なぜなら、迷子とは、目的地があって、そこにたどり着けないときをいうのだ。ひとりのときは、行き当たりバッタリゆえ、行く先々が、目的地みたいなものだから、断固、迷子じゃあるまい。

だが、今回、富士晴美さんに、山川庸子さん、北尾りえさんという女傑、深窓の令夫人、京の女将という、お一人がこの3要素を、兼ね備えた個性豊かなご婦人のお供とあれば、ゆめゆめ迷子になぞ、なってはならぬのだ。

ところがです。みごとに、迷子になったのです。申し訳なく、シャンゼリーゼ大道りを、往復していただき、流石にコンコルド広場の見える木立のしたのベンチに、4人がすわる。

おみ足は、休息しても、四人の、口は、流石に疲れ知らず。談論風発、その笑い声は、コンコルド広場まで届く。

オペラ座にもどり、東京・池袋の歯科医院にいた枝美佳と連絡、このヤマノカミさまの、遠隔操作に、従う。

電話の指令のままに従っていると、彼女の好きな「クスミ・テイー」の前を過ぎて、目印のスーパーマーケットもとうり、自然に、目的地に着く。5、6回は来ているのに、ホッとしたわたしは、もうなにも言う気がしなかった。
それにしても、グローバル社会は、通信網と交通網の土台の上になるのか。

反省、何事も計画性をもて。事前に調べろ。グループ行動と、個人の行動は違う。脳ミソをけちるな。う~ん、どれも、実行不能だな。
三碧の剋気、一白の剋気、それにしても、4、5万歩は歩き倒したかもしれぬ。

その夜、深夜、激しい腹痛に襲われる。しまった、おさまっていた
胆石症の発作だ、と本当に反省する。過労、ストレス、過食ーー気
をつけていたが、油断したと、エビのように体をまげて発作の収まるのを祈る。手術はしたくない。今月は、病気、及び再発に注意と、アカデミー誌に書いたと言うのに。

我輩のワガママに、天罰がくだされたか、いや、警告でしょうね。

                                                                       警告に神妙な むらっち


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